11月10日のゼミは出席者が少なく、喫茶店に行き、ケーキを食べながら雑談したり、Niaさんの発表を聞いたりしました。少人数で喫茶店という場だったので、雰囲気がよく、教室より楽しく話すことができたと思います。そういうこともあって、WGood君が自分のブログで「興味深い話ばかり」だ書いてくれました。その興味深い話は私からの話ではなく、ゼミ生自身からの話でした。
有益な話ができたのはよかったのですが、そもそも喫茶店に行ったきっかけは無断欠席者が多く、出席者が少なかったことです。やはり、無断欠席が多く、ごく小数の出席者しかいなかったのはよくないと思います。後で、欠席者の一人にその理由を聞いてみたところ「発表がなく図書館で調べものをすることになると思っていた」と言うことでした。しかし、図書館で調べものをする日は無断欠席をしていいという訳ではありません。特に、これから調べものが必要なゼミ生からのコメントでしたので、不思議に思いました。
今日(11/17)の授業についてですが、発表の予定ではKYUさんになっていました。しかし、先日連絡ができ、KYUさんは卒論を書くのを断念して、ゼミをやめたいということでしたので、今日は発表がなく、図書館 (301号室)で調べものをすることになります。卒論がほぼ出来上がっていて、調べものをする必要がない人は欠席してもかまいませんが、メールをいただきたいと思います。他のゼミ生は調べものがなくとも、図書館のパソコンで文章を書いたり、ブログを更新したりすることができますので、特別な理由がなければ出席すべきです。
とてもよくやってくれているゼミがいますが、授業に来ない、ブログの更新もしない人が多すぎます。演習IVの単位は当然もらえるものだと甘く考えていると、下手すると卒業延期になることもあり得るので、覚悟をしてほしいと思います。もちろん、単位が必要ないなら卒業には関係ありませんが・・・
最後になりますが、WGood君のブログへの書き込みができなくなりました。WGood君、書き込みができるよう、設定を変えてください。
Sunday, November 16, 2008
Monday, October 6, 2008
「十分な説明」とは?
今日のゼミで、十分な説明とはどのような説明か、が話題になりました。皮肉なことに、「説明」に関する私自身の説明がよくなかったと思います。ここで改めて説明してみたいと思います。
日本語に「一を聞いて十を知る」という言葉があります。この表現は日本のコミュニケーションの特徴の一つを表しているではないかと思います。つまり、人の言葉を理解しようとすることが日本の文化の中で特に重視されていることを物語っていると思います。「以心伝心」「阿吽の呼吸」「以心伝心」「お察し」などの表現も最小の言葉によるコミュニケーションの美徳を指す表現だと思います。これは日本のすばらしいところの一つだと思います。一所懸命に人が伝えようとしていること、あるいは言葉で表現ができないけども、考えていることを理解しようとすることは非常に大切だと思います。
概していえば、アメリカには違う傾向があります。日本が「一を聞いて十を知る」ならば、アメリカが「十を聞いて一を知る」文化と言われることがあります。やや極端な表現ではありますが、そのような傾向があります。しかし、だからと言ってアメリカのコミュニケーション文化がまるでだめだということではありません。聞く側の理解する責任を軽視する代わりに、話す側にかなり懇切丁寧な説明を求める傾向があります。逆に、日本では一所懸命聞くことが重視されますが、下手すると、やや説明不足でも「このぐらいでわかるだろう」という発想が強い印象を受けています。
それぞれの長所と短所が違って、片方だけがいいということではありません。これからも、皆さんには一所懸命に「聞く」あるいは「行間を読む」という日本的な長所を大切にしていただきたいと思います。しかし、書いたり表現したりするときには、逆に「このぐらいでわかるだろう」と甘くみないで、予備知識がなく、頭の回転があまりよくない人でも楽に理解できるような文や説明を目指してもらいたいと思います。
今日のゼミでのやり取りをきっかけに、他の教員にこの「十分な説明」について意見を聞いてみました。一人の教員は次のようなことをいいました。つまり「私が論文を書いている学生にいうのは、『私のために書いていると考えないで、この分野のことがよくわからない、自分と同じぐらいの年齢の学生のために書いていると想像しながら書いて』」というようなことでした。もう一人の教員は「論文を書く段階になると、君はもはや学生ではない。先生だ。いかに上手に自分の論文を読んでいる人を教え導くかが問われる」と言っているそうです。両方とも、私が伝えようとしていたことと同じ趣旨のアドバイスだと思います。中でも二つ目の言葉は示唆に富んでいると思います。皆さんは今までの人生で生徒や学生として「理解する能力」が問われてきました。教科書や授業がやや難解でも、しっかりと理解することが求められてきたでしょう。逆に、「わかりやすい説明」などはあまり求められていないと思います。いよいよ、卒論を書く段階になって「いかに説明するか」がポイントになっていると思います。その意味では発想を180度かえることになるかもしれません。
今日のゼミのやり取りを振り替えて、私自身には「十を聞いて一を知る」的なところがあったと反省しています。後で読み直して、取り上げていた説明はそこまで説明不足ではないと思いました。ただ、もっと考察や説明を加えたりしてもらえれば更によい文章になったと今でも考えています。
長くなりましたが、皆さんに「誰にでも理解できる明瞭な文章」で論文をまとめることを心がけてもらえれば幸いです。
日本語に「一を聞いて十を知る」という言葉があります。この表現は日本のコミュニケーションの特徴の一つを表しているではないかと思います。つまり、人の言葉を理解しようとすることが日本の文化の中で特に重視されていることを物語っていると思います。「以心伝心」「阿吽の呼吸」「以心伝心」「お察し」などの表現も最小の言葉によるコミュニケーションの美徳を指す表現だと思います。これは日本のすばらしいところの一つだと思います。一所懸命に人が伝えようとしていること、あるいは言葉で表現ができないけども、考えていることを理解しようとすることは非常に大切だと思います。
概していえば、アメリカには違う傾向があります。日本が「一を聞いて十を知る」ならば、アメリカが「十を聞いて一を知る」文化と言われることがあります。やや極端な表現ではありますが、そのような傾向があります。しかし、だからと言ってアメリカのコミュニケーション文化がまるでだめだということではありません。聞く側の理解する責任を軽視する代わりに、話す側にかなり懇切丁寧な説明を求める傾向があります。逆に、日本では一所懸命聞くことが重視されますが、下手すると、やや説明不足でも「このぐらいでわかるだろう」という発想が強い印象を受けています。
それぞれの長所と短所が違って、片方だけがいいということではありません。これからも、皆さんには一所懸命に「聞く」あるいは「行間を読む」という日本的な長所を大切にしていただきたいと思います。しかし、書いたり表現したりするときには、逆に「このぐらいでわかるだろう」と甘くみないで、予備知識がなく、頭の回転があまりよくない人でも楽に理解できるような文や説明を目指してもらいたいと思います。
今日のゼミでのやり取りをきっかけに、他の教員にこの「十分な説明」について意見を聞いてみました。一人の教員は次のようなことをいいました。つまり「私が論文を書いている学生にいうのは、『私のために書いていると考えないで、この分野のことがよくわからない、自分と同じぐらいの年齢の学生のために書いていると想像しながら書いて』」というようなことでした。もう一人の教員は「論文を書く段階になると、君はもはや学生ではない。先生だ。いかに上手に自分の論文を読んでいる人を教え導くかが問われる」と言っているそうです。両方とも、私が伝えようとしていたことと同じ趣旨のアドバイスだと思います。中でも二つ目の言葉は示唆に富んでいると思います。皆さんは今までの人生で生徒や学生として「理解する能力」が問われてきました。教科書や授業がやや難解でも、しっかりと理解することが求められてきたでしょう。逆に、「わかりやすい説明」などはあまり求められていないと思います。いよいよ、卒論を書く段階になって「いかに説明するか」がポイントになっていると思います。その意味では発想を180度かえることになるかもしれません。
今日のゼミのやり取りを振り替えて、私自身には「十を聞いて一を知る」的なところがあったと反省しています。後で読み直して、取り上げていた説明はそこまで説明不足ではないと思いました。ただ、もっと考察や説明を加えたりしてもらえれば更によい文章になったと今でも考えています。
長くなりましたが、皆さんに「誰にでも理解できる明瞭な文章」で論文をまとめることを心がけてもらえれば幸いです。
Sunday, September 21, 2008
MAGAZINEPLUS
図書館から次のメッセージが届きました。
現在ご利用いただいているデータベースのうち、雑誌の記事や論文を検索できる『MAGAZINEPLUS』、『CiNii』の設定を変更しました。変更点は、検索結果に本学の蔵書検索「OPAC」へのリンクボタンがつくようになりました。これは検索された論文が掲載されている雑誌が、本学に所蔵されているかどうか「OPAC」ボタンを押すだけでわかるようになります。これまでは改めて図書館ホームページから蔵書検索「OPAC」を開いて検索していましたが、その手間が省けます。本学に所蔵がないものは、所蔵がありませんという表示になります。全員に『CiNii』で検索し、見つかった論文を参考にしてほしいと思います。よろしくお願いします。
ただし注意していただきたいのは、データに「ISSN」がはいっていないものにはリンクがつかないので、本学には所蔵がないと判断されるかもしれませんが、実際はOPACで「雑誌のタイトル」を入れて検索すると所蔵があるものもあります。
どうしても必要な論文がある場合は、図書館ホームページから蔵書検索「OPAC」を開いて、「雑誌のタイトル」を入力して検索もしてみてください。
懸賞論文等
いよいよ秋学期の始まりですね。私にとって夏休みの期間中にやることが多く、あっという間でした。皆さんはどうでしたか。
全体として、夏休み中にブログへの更新は少なかったと思います。懸賞論文のことが少し心配です。以前、皆さんに知らせていると思いますが、締切まで、後一週間程度です。
締切日:平成20年9月30日(火)17:00
提出先:図書館4階 事務室
下書きのある人についてはできるだけ事前に見て上げたいと思います。下書きを事前に私に提出できない場合は直接図書館に提出してください。
授業で進捗状況等について話し合いたいと思います。よろしくお願いします。
全体として、夏休み中にブログへの更新は少なかったと思います。懸賞論文のことが少し心配です。以前、皆さんに知らせていると思いますが、締切まで、後一週間程度です。
締切日:平成20年9月30日(火)17:00
提出先:図書館4階 事務室
下書きのある人についてはできるだけ事前に見て上げたいと思います。下書きを事前に私に提出できない場合は直接図書館に提出してください。
授業で進捗状況等について話し合いたいと思います。よろしくお願いします。
Sunday, July 13, 2008
コメントについて
コメントを仲間のブログに書き込んでくれているゼミ生がいます。たいへんいいと思います。私はその書き込みに対する反対意見を書くこともあります(例えばここやここ)。しかし、私の意見が違っていても、こういう書き込みがあって、議論のきっかけになることは非常にいいと思います。ただ、書き込みをしている人は少ないのは気になります。これからは全員に仲間のブログへの書き込みをしてほしいと思います。全員のブログに対する書き込みはたいへんすぎるでしょうが、一人か二人のブログに対してはできるはずです。
因に、何人かからは「発表してみて、反応を聞いて役に立った」という主旨の投稿があります。うれしいことです。夏休みの間も勉強を続けて、懸賞論文の締切に間に合わせましょう!
因に、何人かからは「発表してみて、反応を聞いて役に立った」という主旨の投稿があります。うれしいことです。夏休みの間も勉強を続けて、懸賞論文の締切に間に合わせましょう!
Sunday, July 6, 2008
Wednesday, July 2, 2008
進行中の水銀汚染
先月、大学における「任期制」について書く準備をブログでやってみると書きましたが、忙しくなってその後やっていません。原稿締め切りが近づいて、もっと書きたいネタが手に入ったので、そのテーマでエッセーを書きました。読んでみてもらえればうれしいと思います。
皆さんが書く論文と違う点は注で出典を明記していないことです。通常注などをつけないようなコラム用の原稿を依頼されたので、最小限の出典しか明記していませんが、それでも新聞名や雑誌名と日付は明記しています。また、私の見解と他人の見解を分けて書いたつもりです。
=====================
進行中の水銀汚染
私が担当する「演習III」では、国際経済学科所属の学部生に加え、来学している交換留学生をゼミの正規のメンバーとして迎え、議論やグループ学習等を通じて、文化や社会問題などに関する理解を深めようとしています。今年の春学期は水俣病を中心的なテーマに据え、水俣へのゼミ旅行に備えて勉強を進めてきました。先日の授業で、留学生と日本人学生との間に存在する水銀汚染に関する意外な知識のギャップに気づきました。このエッセイで、ゼミで見えてきたことを報告して、多少の考察を試みてみたいと思います。
公式発見から50年以上が経過しているにもかかわらず、水俣病関連の問題がさまざまな形で続いていることはご存知のとおりです。しかし、学生にとってはやや「古い」話題に感じられるのではないかと思い、今までの経緯に関する勉強に加え、現在話題になっている環境問題も取り上げ、水俣病の問題との類似性等について考えてきました。その中で、まぐろ等、食物連鎖の上の方にいる魚の体内水銀値が高いことや、その原因の一つとされている石炭火力発電が問題になっていることを取り上げてみました。そこで意外だったのは、留学生(特に英語圏からの留学生)は一通りこの問題を知っていましたが、日本人学生は皆「初耳」だと言っていたことでした。
「日本人の学生は常識がない」などと、「知らない」と言う学生の知識不足を批判するのは簡単ですが、そう簡単に日本人学生の問題として片付けられないだろうと思いました。考えてみれば、私自身がこの問題について知った情報源は、日本のメディアではなく、インターネットで入手するアメリカ等のメディアでした。たまたまその日の夜に、アメリカ生活が長かった日本人の友人にこのことを話したら、「日本でも話題になることはありますが、やっぱり日本よりもアメリカで頻繁に話題になっていました」と言うことでした。
しかし、何故でしようか?英語圏では関心が高いが、日本では魚の質に関心を持っている人はあまりいない、ということはあり得るのでしょうか?いや、水俣病の悲劇がまだ終わらない日本、英語圏の諸国より魚の摂取量が遥かに高い日本では「関心」がない、ということはあり得ないでしょう。そう考えていたところ、和歌山県太地町の住民の毛髪から、高い濃度の水銀が検出されたことに関する英語の記事を見ました。英語でも報じられている日本の話題なので、日本のメディアでも大きく取り上げているに違いないと思い、インターネットで検索してみました。GoogleにもYahoo!にもニュース記事を検索する機能がありますので両方のサイトで検索してみましたが、「水銀」と「太地」、「水銀」と「魚」など、検索のキーワードをいろいろ変えてみても、太地町の問題はおろか、魚介類に含まれている水銀濃度等に関する記事は一つも見つかりませんでした。
一方、英語の方はどうかと思い、Googleを使って、英語のニュース記事を「mercury」(水銀)と「fish」で検索してみました。ヒット件数は845件で、たまたま筆頭の記事は私のふるさとであるアメリカ合衆国ウィスコンシン州で新たに決まった石炭火力発電所に対する水銀規制に関するものでした。石炭火力発電所から大気中に出る水銀がやがては川や湖に入って、食物連鎖を伝わって人間の健康を脅かしているという見解が主流となり、規制に乗り出したようです。
このウィスコンシン州の話題が日本のメディアに出てこないのはむしろ当然かも知れませんが、けっして単なるローカルな問題ではありません。アメリカや中国などの石炭火力発電所からの水銀が海に入り、食物連鎖を伝わって世界中に行き渡るからです。当然、こうした火力発電も太地町の問題の一因になっている可能性もあります。驚くべきことは、日本ではこうした問題がほとんど取り上げられていないということです。
もちろん、日本のメディアがこの問題をまったく取り上げていない訳ではありません。太地町での調査を依頼し、報道したのは『AERA』(2000年6月16日号)で、『AERA』に先立って『熊本日日新聞』(6月13日)に記事が載りました。しかし、全体を見渡した場合には、こういう問題を取り上げる日本の報道はあまりにも少ないのではないでしょうか?
最後に、『AERA』の依頼を受けて、太地町での調査を行った「国立水俣総合研究センター」について抱いた疑問を述べたいと思います。ここで詳細に述べることはできませんが、米国発の水銀をめぐる問題提起が、今年の2月1日と4月5日の『熊日』で紹介されていることに対して、「国水研の見解」ということで「必ずしも水銀汚染が進んでいるということではありません」という立場をとっています。水俣病のような悲劇を二度と繰り返さないことを基本理念に据えているはずの国水研が水銀汚染の危険性について否定的な立場をとることは不思議で仕方がありません。
皆さんが書く論文と違う点は注で出典を明記していないことです。通常注などをつけないようなコラム用の原稿を依頼されたので、最小限の出典しか明記していませんが、それでも新聞名や雑誌名と日付は明記しています。また、私の見解と他人の見解を分けて書いたつもりです。
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進行中の水銀汚染
私が担当する「演習III」では、国際経済学科所属の学部生に加え、来学している交換留学生をゼミの正規のメンバーとして迎え、議論やグループ学習等を通じて、文化や社会問題などに関する理解を深めようとしています。今年の春学期は水俣病を中心的なテーマに据え、水俣へのゼミ旅行に備えて勉強を進めてきました。先日の授業で、留学生と日本人学生との間に存在する水銀汚染に関する意外な知識のギャップに気づきました。このエッセイで、ゼミで見えてきたことを報告して、多少の考察を試みてみたいと思います。
公式発見から50年以上が経過しているにもかかわらず、水俣病関連の問題がさまざまな形で続いていることはご存知のとおりです。しかし、学生にとってはやや「古い」話題に感じられるのではないかと思い、今までの経緯に関する勉強に加え、現在話題になっている環境問題も取り上げ、水俣病の問題との類似性等について考えてきました。その中で、まぐろ等、食物連鎖の上の方にいる魚の体内水銀値が高いことや、その原因の一つとされている石炭火力発電が問題になっていることを取り上げてみました。そこで意外だったのは、留学生(特に英語圏からの留学生)は一通りこの問題を知っていましたが、日本人学生は皆「初耳」だと言っていたことでした。
「日本人の学生は常識がない」などと、「知らない」と言う学生の知識不足を批判するのは簡単ですが、そう簡単に日本人学生の問題として片付けられないだろうと思いました。考えてみれば、私自身がこの問題について知った情報源は、日本のメディアではなく、インターネットで入手するアメリカ等のメディアでした。たまたまその日の夜に、アメリカ生活が長かった日本人の友人にこのことを話したら、「日本でも話題になることはありますが、やっぱり日本よりもアメリカで頻繁に話題になっていました」と言うことでした。
しかし、何故でしようか?英語圏では関心が高いが、日本では魚の質に関心を持っている人はあまりいない、ということはあり得るのでしょうか?いや、水俣病の悲劇がまだ終わらない日本、英語圏の諸国より魚の摂取量が遥かに高い日本では「関心」がない、ということはあり得ないでしょう。そう考えていたところ、和歌山県太地町の住民の毛髪から、高い濃度の水銀が検出されたことに関する英語の記事を見ました。英語でも報じられている日本の話題なので、日本のメディアでも大きく取り上げているに違いないと思い、インターネットで検索してみました。GoogleにもYahoo!にもニュース記事を検索する機能がありますので両方のサイトで検索してみましたが、「水銀」と「太地」、「水銀」と「魚」など、検索のキーワードをいろいろ変えてみても、太地町の問題はおろか、魚介類に含まれている水銀濃度等に関する記事は一つも見つかりませんでした。
一方、英語の方はどうかと思い、Googleを使って、英語のニュース記事を「mercury」(水銀)と「fish」で検索してみました。ヒット件数は845件で、たまたま筆頭の記事は私のふるさとであるアメリカ合衆国ウィスコンシン州で新たに決まった石炭火力発電所に対する水銀規制に関するものでした。石炭火力発電所から大気中に出る水銀がやがては川や湖に入って、食物連鎖を伝わって人間の健康を脅かしているという見解が主流となり、規制に乗り出したようです。
このウィスコンシン州の話題が日本のメディアに出てこないのはむしろ当然かも知れませんが、けっして単なるローカルな問題ではありません。アメリカや中国などの石炭火力発電所からの水銀が海に入り、食物連鎖を伝わって世界中に行き渡るからです。当然、こうした火力発電も太地町の問題の一因になっている可能性もあります。驚くべきことは、日本ではこうした問題がほとんど取り上げられていないということです。
もちろん、日本のメディアがこの問題をまったく取り上げていない訳ではありません。太地町での調査を依頼し、報道したのは『AERA』(2000年6月16日号)で、『AERA』に先立って『熊本日日新聞』(6月13日)に記事が載りました。しかし、全体を見渡した場合には、こういう問題を取り上げる日本の報道はあまりにも少ないのではないでしょうか?
最後に、『AERA』の依頼を受けて、太地町での調査を行った「国立水俣総合研究センター」について抱いた疑問を述べたいと思います。ここで詳細に述べることはできませんが、米国発の水銀をめぐる問題提起が、今年の2月1日と4月5日の『熊日』で紹介されていることに対して、「国水研の見解」ということで「必ずしも水銀汚染が進んでいるということではありません」という立場をとっています。水俣病のような悲劇を二度と繰り返さないことを基本理念に据えているはずの国水研が水銀汚染の危険性について否定的な立場をとることは不思議で仕方がありません。
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